さて。

 

アバルト納車され一週間が過ぎました。

 

  

ホワイト一色で、ちとばかり物足りないなぁ、と思い始めて。少しばかり「お飾り」を買ってみました。

 

とりあえず買い込んだアバルトのエンブレムやらステッカー。

 

 

まだ封を切っていないので写真だと何が何だか、ですが、これ、ドアサイドのアバルトのストライプロゴステッカーです。

 

貼ればこんな感じ。

 

お次はボンネットステッカー。言わずと知れた「スコルピオーネ」です。

 

アバルトエンブレムとスコルピオーネの立体エンブレム。貼る場所は未定。立体さそりはダッシュボードとリアディフューザーに貼ろうかな、と思案中・・・

 

デカールやエンブレムを貼ったイメージ。この程度の品のいいヤンチャな感じには仕上げたいな、と(貼り過ぎればキリがなくなる悪い癖もあり・・・)。

 

その他、アクセル、クラッチ、ブレーキの各ペダルを合金製のものに。つるつる滑る今のゴム製では危なくてしようがないので。

 

とりあえずサイドデカールとペダル交換はディーラーでやってもらえればいいな、と。ディーラーにはデイランプのLED化も頼む予定もあるし・・・

 

とまぁ、ぼちぼちと楽しい「さそり生活」を楽しんでいます(笑)

 

 

では、股に手。

さて。

 

先日「お別れ」をしたアルファロメオ・ミトですが、やっと注文していた「アバルトF595」が納車されました(*´▽`*)

 

 

 

 

 

 

アバルトF595。ノーマルのフィアット500の1200cc・69馬力のエンジンから、1400cc・165馬力のターボエンジンへと変わっています。アバルト695シリーズは1400cc・185馬力までカリカリにチューンされてますが。

 

アバルトを買うにあたって、アバルト695コンペティツィオーネを敬遠したのは実は「シフトレバー(ATセレクター)がないこと」でした(笑) ATセレクターがないので、パドルシフトのみ。さすがにシフトレバーがないのは少し違和感があって。

あと値段高すぎですね。車両本体価格で500万オーバーはちょっとさすがに・・・(;´・ω・)

 

外観。さすがにモデル末期のF595。最終モデルはかなり各部グレードダウンされています(;´・ω・) フロントリップやドアミラーの差し色は廃止され黒一色になり、ドアハンドルやリアナンバー灯のパネル、フロントオーナメントのメッキが廃止され、つや消し黒のプラスチックになってます。

 

また一部モデルにはルーフやリアスポイラーがブラックアウトされていたこともありましたが、現モデルはボディー色となってます。ヘッドランプもハロゲンバルブとなり、またドライビングランプもLEDから普通のバルブ式となってます。

内装では、足元のアクセル・ブレーキ・クラッチがアルミペダルからゴム製になってます。全体的に「安普請」になっている印象は正直否めないです(;´・ω・)。まぁそれらネガ要素を打ち消す魅力は充分あり、です。

 

ディーラーにて、ちょっとした引き渡し式(?)と、クルマのブリーフィング。なんか、ここんとこアバルトに乗って国道4号線でエンストかます夢ばかり見ていたので、乗り出すのに一抹の不安がありました(笑) MT車自体は今でも実家のワゴンRがMTなので、運転にはさすがに問題はなかったです。ただ慣れないのでそこそこの緊張感はありましたが・・・

 

 

でだ。

 

 

 

 

 

  

乗ってみての感想。

 

「ドアが大きくて重い」とは言われますが、アルファロメオ・ミトもそうでしたので、むしろ逆にペコパコと安っぽくて軽い感じを受けました。まあドアが大きいことは確かなので、隣のクルマへの「ドアパンチ」には引き続き要警戒です。

細かい事ですが、パワーウィンドーのスイッチがシフトレバー下、エアコンスイッチの当たりにあり少々戸惑います。ここは普通にドアにスイッチを付けて欲しかったところ。

 

シートポジション調整は、前のアルファロメオ・ミトよりは案外簡単に決まってくれました。ただシートリフターのレバーがシート左側にあり、サイドブレーキのレバーと間違ってしまいます(笑)

後席は確かに狭いです。しかし大人が乗れないことはないです。しかしボクの生活上、ほとんど後席に他人を乗せることはないでしょう。トランクルームも狭いですが、まぁリアシートを倒せばタイヤ4本は入ります。

 

エンジンを掛ける。よく「爆音」「近所迷惑」と世間で喧伝されるマルミッタ・アバルト、じゃなくて「レコルトモンツァ」マフラーですが、確かに普通のクルマよりはゲロゲロ、ドロドロ・・・と不穏なアイドリング音ですが、それほど近所迷惑とまでは行かないレベルかと。室内から聞こえるエンジン音もさほどではなく、案外静かです。ただアイドリングのバラツキは気になりますが(アイドリングの途中でプスン、って止まるんじゃないかというほどバラツキはあります)。スポーツモード(サソリマークのボタンをポチッとな)するとさらにゲロゲロ音は高まります。

エンジンはターボの効きが良く、トルクフルでよく走ってくれます。足回りの固さもそれほど問題ではなく、よく言われる「乗り心地が悪い」とか「長距離運転には不適」という感じもなかったです。

 

よく「回転範囲はアルファード並み」と言われる「小回りが利かない」感じはまだわかりませんでした。もう少しお付き合いしてみてからかな、と。前のアルファロメオ・ミトも意外と小回りが利かないクルマでしたので、慣れの問題なのかな、と。

クラッチペダルはかなり重いですが、ふだんMTに乗り慣れているのでそれほど問題はありません。シフトレバーのアルミノブがデカいのでギョッとしますが、使い勝手は意外といいです。ギアシフトもストロークは長めですが、コクコクっと小気味よく決まってくれます。

 

余談ですが、セミATだった前のアルファロメオ・ミトからの乗り換えのためか、なぜかバックギアに入れるときにクラッチを踏み忘れシフトして「ガリッ」とやってしまいます。悪い癖は直さないとね(笑)

 

そして、このクルマ最大の問題と言えば、「ペダルの配置」。右ハンドル車化の弊害とは言われていますが、右足を真下に下ろすとペダルが何もなく、アクセルペダルは右側に、ブレーキペダルは左側にそれぞれオフセットされています。パニック時に間違って床を空踏みしそうです。また、ペダルの形状のせいか、ペダルが滑り何回も踏みなおしすることが多いです。ペダル配置は慣れるしかないですが、ペダルは別売のパーツを後で買って装着する必要があるな、と。

 

 

内装面。オール液晶のデジテルメーターは好き嫌いが分かれそうですね。日本語表記がいちいちうるさい気もしますが、これも慣れの問題でしょう。右ハンドル化のために、取って付けたような、タクシーの料金メーターみたいなブーストメーターが変な位置になってしまっているのはご愛敬、といいたいですが、少し視界に入って紛らわしいな、と(笑) 

 

あと問題、といえば些末な問題ですが、オートヘッドライト機能が付いてはいるのですが、これ「手動でライトが消せない」仕様で、例えば夜にエンジンは掛けたままライトを消す、ということが出来ません。また、オートライトが消えるのにも時間がかかり、暗闇から明るいところに出てからライトが消えるまで10~20秒かかるという(笑) ヘッドランプの「暗さ」はイタリア車特有のようなので後日要点検です。

 

あとスモールランプのみで走行が出来ないのは前のミトでもそうでしたので、これも慣れの問題かな。

ライト、といえば今回からデイタイムランプの付いたクルマを初めて乗るのですが、仕様変更によりデイタイムランプが白色のLEDではなくて、普通の電球色のバルブ。ちとカッコが悪い。これはいずれLED球に交換が必要かな。

 

標準仕様のスマホ連動のダッシュパネルは取り外し、社外品のカーナビを装備しました。これは笑い話なのですが、ボクはそもそもスマホでは音楽を聴かない人なので、標準仕様だと「CDが聴けない」ので、CDを聴くためにわざわざカーナビを付ける羽目に(笑) 標準でCDプレーヤーくらい残してくれよ、って話ですが・・・まぁいい。

 

余談ですが、各部の「差し色」が廃止されたので、ホワイト車だと余計にのぺっとした印象ですね。もう少し乗ったら、各部のアクセントにステッカーなんかを貼ってやりたいところ。ネットを見るといろいろステッカーが売っていますし。これは様子見。

 

いよいよ始まったアバルトとの生活。サソリの居る生活。よろしくお願いします。

 

 

 

では股に手。

さて。

 

先日書き記したとおり、新車を買いました。つきましては、このたび12年お世話になった、「みと子mk-Ⅱ」ことアルファロメオ・ミトとお別れいたしました。

 

 201103230944000.jpg

2011年3月11日。東日本大震災津波に流されて8か月しか乗ることが出来なかった初代「みと子」さん。

 

   

2012年10月、納車時自宅まで移動中に早坂高原にて。震災後手に入れた「みと子mk-Ⅱ」。初代は6速MTでしたが、今度は「アルファTCT」というセミオートマでした。心機一転。ブラックからホワイトに。

 

2012年12月、自宅にて。

 

 

2013年1月。叔父の葬儀で津軽まで。初めて家族を乗せて走りました。

 

 

2013年6月。山田湾を望む。

 

2013年7月。陸前高田市。かつての職員公舎跡地にて。

 

 

2013年8月。上田公民館にてアルファ147と記念撮影。

 

   

2013年11月。平庭高原にて。

 

 

2013年12月。野田村・下安家にて。

 

   

2014年2月。大雪。セカンドカーのダイハツ・ミラと。

 

2015年1月。12か月点検のためアルゴスさんにて。

 

   

2016年5月。それまでの一本出しだった標準マフラーを「TEZZO」の二本出しマフラーと交換。コックピットモリオカさんにて。

 

2016年6月。走行中にホイールナットが吹き飛ぶアクシデント。2021年には4本中3本が吹き飛ぶ同様のアクシデント。

 

2018年。冬用アルミホイール装着。

 

   

廃車が決まった2024年4月。通院先にて最後のお勤め。

 

  

12年も経つと、ボンネットやリアハッチ、ドアの上部のコーティングが剥がれて痛々しい。もっと早く気が付いてケアすべきだったな・・・(;´・ω・)

 

  

 

   

その他、ディテール各部。

 

12年間、結構トラブルはありましたが乗りやすいクルマでした。やはり沿岸部寄りに住んでいるため、あるいは雪が降る地域のせいか塩害や融雪剤等による「サビ」との戦いでしたね。ブレーキ関係がことごとく錆びて車検のたびに交換・修理なのには閉口しましたが(笑) そうそう。一度走行中に飛び出してきた「シカ」と衝突したこともありました。今となっては楽しい(?)思い出。

 

  

2001年に購入した「アルファロメオ156」からスタートしたアルファロメオとの生活にもさよなら、となります。

総走行距離はトータル136800kmでした。さようなら、みと子さん。12年間、今までありがとう。さようならアルファロメオ、23年間ありがとう。

 

 

 

Arrivederci!

 

BGM。ショパン「別れの曲」(エチュード Op.10-3)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて。


 

今年三陸鉄道が40周年を迎えました。本日はその三陸鉄道の話など。


 今は昔。1984年4月1日。 それまでの国鉄宮古線、国鉄久慈線が廃止され、また建設中だった普代~田老間の開業を国鉄として断念する代わりに、全国初の第三セクターによる鉄道として三陸鉄道は開業いたしました。白いスマートなボディに赤とブルーのトリコロール。通称「36型」。どこかしら「ガンダム」を連想するカラーリングですが(笑)

 実はボクも三陸鉄道通学者第一期生(笑) 開業から約一週間後の4/7に入学式、さっそく定期券を買い、毎日この列車で通学することとなりました。三陸鉄道が開通したことで、沿岸の高校で勉強するのに、いちいち下宿したり親の送り迎え、あるいは原チャでの通学の必要がなくなり、利便性は大きいものでした。

 当時は基本二両編成でしたが、ときにはあまりの混雑から三両になることもありました。学生だけでなく、サラリーマンや病院に通院する方(当時、新築移転前の県立宮古病院は宮古駅のほぼ真ん前にありました)、もちろん観光客…それはもう大賑わいでした。

 車両はこの辺りでは珍しくもなんともないディーゼル気動車。逆に当時としては珍しかったものとして、車内にドリンクの自動販売機が設置されていました(後述しますが、この「ディーゼル気動車」だったことが後で重要な意味を持つことになるのですが…)。車内では軽やかなマンボやサンバなどのBGMを流し、ときには車内のモニターで三陸の名所案内のVTRを写したりしてました。他の国鉄の路線とは大違いのサービスぶりでした。

 


 雨の日も風の日も。大雪の冬も猛暑の夏も。朝は他校の友達とたわいのない雑談、ときには一夜漬けならぬ1時間漬けのテスト勉強や宿題のノート写し(笑)。夕方は部活で疲れてひたすら惰眠を貪り…降りる駅を通り過ぎたり(苦笑)。高校時代は三鉄と過ごした三年間でした。

 地域への密着サービス、ということからか、いい意味でアバウトなところもあり助かりました。ボクが遅刻したことが判ると出発を待っていただいたり、定期を買い忘れると「明日はちゃんと定期券買ってこいよ!」と文字通り顔パスしていただいたり…。記憶がアバウトですが、当時の車掌さんが、橋上和司さんや金野淳一さんだったと思います。待てよ、運転手さんだったかな…( ̄_ ̄ i)??



 さて。

 
 「何かいつもの三鉄と違うな」と違和感を感じ始めたのが高校三年生のとき、1986年でした。ジュースの販売機が撤去され、軽やかなBGMもなくなる。ウニ丼を売っていたオバちゃんの姿も見えません。相変わらず通学生でごった返しているというのに、ギッチギチの一両編成。記憶ははっきりしませんが、車掌さんがいなくなり、ワンマンバスのような料金機が置かれるようになったような。要は三鉄ブームもすっかり去り、イケイケだった三鉄の経営状況が芳しくなくなってきたようです。そして、卒業後、就職しクルマを持つようになってからはすっかり三鉄には乗る機会がなくなってしまいました…。


 そして、あの日。


 2011年3月11日、午後2時46分。

 

 長くなったので、後半に続く。…と思ったけどやめた。その後の三鉄の奮戦ぶりはもうボクが言うまでもなく、すばらしいモノ。泣けるエピソードとかいろいろあるけど、心にとどめときます。

 

 

ところで。

 

 

様々なことがあった三鉄での通学ですが、なぜか「ロマンスの神様」とはついに巡り合わなかったなぁ…(・ω・`)

 

 

 

でわ、股。
 

さて。

 

我が家にもう17年は活躍している「ワゴンR」。まぁ「親父の形見」といえば形見になるか。先日車検と、遅ればせながら親父からボクに名義変更しなおしました。

 

このワゴンRは平成19年(2007年)4月に我が家に来て、以降買い物の足、家族旅行の足、ボクの引っ越しのお手伝い、さらには東日本大震災でもボクの手助けとなり、また親父の最期近くには親父の通院の足となってくれた車でした。ワゴンRとしては3代目になるのかな。シンプルでクリーンなスタイルも古臭くなく(質素過ぎて素っ気ない気もしますが)、ワゴンR、というか、最近の軽には珍しい5速MTですが、とても乗りやすいいいクルマです。少々(いや、かなり)フェンダーやサイドシルが錆びてきましたが、乗れるうちはまだまだ乗り続けますよ。親父の形見ですからね。もっとも母は「はやぐ新車にしたら?」とボヤいていますが(笑)

 

さて。

 

ふと。ワゴンRのことを書いたら、ウチの親父の「クルマ遍歴」を書き記そうかな、と思いまして。

 

購入時期不明~1969年頃。マツダ・B360。

聞いた話だと親父が最初に買ったクルマだといいます。ボクが生まれる直前まで乗っていたらしいです。

親父の話では「直列4気筒のせいか、ボディが重いせいか、とにかく走らなかった。遅いクルマだった」とのこと(笑) 新型の「ポーターバン」が登場したので乗り換えた、とのこと。確か親戚に売っぱらったとかなんとか。

 

 

1969年頃~1972年頃。マツダ・ポーターバン。

B360の次に乗った車。ボクが生まれた直後に買ったらしい。写真のアルバムでしか見た記憶がなく、乗った記憶はない。ただ別個体で営林署の公用車にも使われていたので、後年ボクもこのクルマの運転席に座った記憶はある。B360、ポーターとお世辞にも売れている車種ではないチョイスだけに、親父に「なんでベストセラーだったスバル360を買わなかったのか?」と聞いたら「スバルは丸っこくて嫌い」「ドアが変」とのことでした(笑) 四角いクルマが好きだったのかな?

 

 

1972年頃~1981年。トヨタ・カローラバン。

二代目カローラ。TE-20系とでも言えばいいのか。親父の買ったのは後期型。後期型カローラは縦基調のグリルが特徴的。ボクや弟が少し大きくなったころに購入。このクルマが我が家に納車されたのは覚えている。また、クルマを買いにディーラーに行ったことも覚えている。

家族旅行にはいつもこのクルマだった。とても思い出が深いクルマ。そうそう。ウチの親戚が「スカイライン2000GT」(ケンメリ)を乗っててねぇ、比較されてとても悔しかった記憶が。エンジンは丈夫だったけど、最後は座席下が腐って穴が開き、なんのセレモニーもなしにヌルッと廃車になった(笑) お別れも何もなく。見送ってやりたかったな・・・

 

1981年~1995年頃。ダイハツ・ハイゼットバン4WD。

いわゆる「まゆ毛ハイゼット」。カローラからなぜこのクルマのチョイスになったのかは意味不明。何の前触れもなく、玄関先に止まっていたハイゼット。「お客さんかな?」と思ったら我が家の「新車」らしかった(笑) 

とはいえ、高校生の頃ボクはこのクルマで自動車の運転を覚えた。自動車学校に入学し、練習のためによくこれを運転したな、と。まだ自動チョークじゃなくて、エンジン始動にもコツが必要だった。夏でもチョークを引かないとロクにエンジンがかからなかった。免許取り立てで高校の卒業式にこのハイゼットで行ったら担任に怒られた(笑) 阿呆ですな。

祖母の葬儀で津軽に出かけたとき、バンという事で近所の方の送迎にボクがこのクルマをよく使った。クセのあるクルマだった。親父の運転がクルマにも染みついていたか、絶対80キロ以上はスピードの出ないクルマだった(笑) これもいつの間にか廃車になっていて、いつお別れしたかは覚えていない。

 

1995年~2001年頃。スズキ・アルトワークスRS-R。

これはボクの「おさがり」。ハイゼット廃車後はしばらくボクの「おさがり」を乗っていた。4WDを活かして、主に春には山菜取り、秋にはキノコ取りに出かけていた。

ボクが買ったのは1989年なので(中古で買ったので厳密に言えば初登録は1987年)、もうすでにかなり経っていて、ターボのタービンやらウォーターポンプやら部品がなく、2010年には廃車になりました。

 

 

2001年頃~2007年。三菱・パジェロイオ。

営林署を定年退職した親父が退職金で買ったクルマ。本当はトヨタのランクルかパジェロを買いたかったそうだが、いざとなると金額の高さに驚いてコレにしたのだとか。本意ではないクルマを買ったせいもあり、買ったときからなんか親父は不満タラタラで、やれあそこが気に入らないここが気に入らないと文句ばかり。気が付いたらワゴンRに乗り換えていました。

笑い話。ある時三菱のディーラーに車検か点検に出した時、総走行距離がまだ5000キロしかなくて、「もう少し乗ってあげてくださいよ」と懇願されたとか(笑) ボクも一回だけ乗りました。割と車幅感覚が掴みづらいクルマだった記憶。

なぜ乗り換えたかは詳しくは聞かないが、この頃母も自動車免許を取得していて、母でも楽に乗れるようにと、パジェロイオからワゴンRに交換したのだとか。もっとも母は免許返納するまで結局2、3回しかクルマを運転したことはなかったが(笑)

 

 

2007年~現在。スズキ・ワゴンR。

親父の最後の車。今はボクが引き継いだ。

 

親父のクルマ遍歴をざっと見ていくとスポーツ車や3ボックスのセダン車が一切ないのがなんか面白いな、と。基本スクエアなハッチバックやライトバン型ばかり。まぁボクら子供を含む家族の事を事を考えてのチョイスかもしれないが、遊び心がなく実直で飾り気のない親父の性格やセンスが表れているな、と。

 

まとめてて結構面白い話だったな、と。

 

 

 

でわ、股に手。